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今しがた宗教の人がやってきて話しをした。 [疑問]

僕が指摘した矛盾を覆せないのにそれでどうして自分が正しいかのようなことを言えるのだろう・・。

僕はいつも思うのですよ。

経典は人が書いたものだ。

それが神様であるわけではないってね。

神様と経典を一緒にしてしまうからおかしな事になるのだ。


2009-06-20 19:32  nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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コメント 3

xephon

未成年もやってくる可能性のあるところで不適切な書き込みおよびスーパーリンクを張るのは見逃しておけないので削除させていただきました。
by xephon (2009-06-21 00:17) 

takehiko

それが宗教というものだから、と僕は思います^^;

経典も歴史書も、長い歴史の中で
様々な為政者の手によって、政治の道具として
都合よく変えられてしまったものがほとんどです。
それに失礼を顧みずにあえて言うとすれば
信仰と言うものは恋と同じで
全てを受け入れて肯定して
相手を信じ、都合の悪いことは自分のいいように解釈します。
その言葉をよりどころにし、胸の中で何度も繰り返します。
自分が恋をしている相手を悪しざま言われたり
否定的なことを言われると
自分のこと以上に腹を立てる人が多いのと似ています。

ただ、恋愛感情と違うのは
同じモノに恋をすると相手を排除しようとする前者と違い
宗教は「信者」というおんなじモノを愛し尊敬する者同士で
強い連帯感が生まれるものです。
同じ心を持つ者として、互いの結束は固くなり、
わずかな疑問が生まれたにしても、
疑問を持つこと自体、
信仰心が足りないとお互いに叱咤激励してゆきます。

堅い信仰は、やがて時に選民主義的な優越感を持って
『ボクラは人とは違うんだ。選ばれた人間なんだ。』となります。
それが
『ボクラは神様に選ばれた特別な人間なのだから、神様が書かれた(と思われる)ことが成就するように、働かなければならない。』となります。
こういう方々に限って、真面目で勤勉なものですから
僕らにとってはえらくハタ迷惑な誠意をもって
自分の宗教がいかに素晴らしいかを滔滔と話し続けます。

僕も宗教はある人達にとっては、生きるために必要だと思っています。
しかし僕に関して言えば、
人がこの世界で最も尊いものだと思うには
少々ひねくれてしまっていますし、
世界全ての事が神さまの意志で満ちていると信じるには
理不尽に沢山のものを奪われすぎました。
そんなバチあたりの僕でも、
人と言うモノを超えた大きな力がある事は感じる事があります。
胸の中に子供の頃のように、ぱあっと歓びが広がる時もあります。
やはり信仰は恋に似ていると僕は思います^^
by takehiko (2009-06-24 19:56) 

xephon

むうう・・・なかなか面白い意見を聞きました。

takehikoさんはとってもロマンチストにも思えましたw

まぁ宗教から離れている僕も偉そうなことを言うのもよくないのかもしれませんけれどね・・。
by xephon (2009-06-28 23:52) 

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